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WEBマガジン「ホップステップだうん!」Vol.203が配信されました

今号の内容
・巻頭写真 「浦河の牧場」 江連麻紀
・続「技法以前」175 向谷地生良 「紛争解決と当事者研究」
・伊藤知之の「50代も全力疾走」 第9回「消毒シンドローム」
・「絶望を分かち合ったときの溜め息」宮西勝子
・福祉職のための<経営学> 065 向谷地宣明 「公私混同大歓迎」
・ぱぴぷぺぽ通信(すずきゆうこ)「話し相手は・・・」

続「技法以前」174 向谷地生良

「紛争解決と当事者研究」その1

私自身の当事者研究のルーツを辿ると、子どもの頃、私の周りの大人たちが争っている風景を思い出すことができます。詳しいことはわかりませんが、母は同じ町内にある父の実家(本家)との間で、何らかのトラブルをかかえいつも愚痴をこぼしていました。父との結婚も、自分が望んだものではなく、洋裁を学ぶために滞在していた青森の弘前で空襲に合い、命を守るだけが精いっぱいの中で終戦を迎え、これから本格的に洋裁を勉強をし直そうとしていた矢先に親に呼び出されて、連れていかれた場所が父とのお見合いの場所だったというのです。今では、考えられませんが、当時は、結婚は親が決めるものだったのです。

教員を目指していた父との結婚を受け入れざるを得なかった母は、「五戸屋」という食料品店と食料品問屋を営んでいた「向谷地家」の次男であった父と結婚することになったのですが、結婚生活は、人間関係だけではなく、経済的にも大変苦しいものだったようです。ちなみに私の名前「生良」は、姓名学に凝っていた「五戸屋」を経営していた叔父がつけてくれたようです。その叔父が、後に統合失調症を患っていたことがわかり、運命的なものを感じています。

忘れられないのが、小学校の低学年の時だったと思います。夜中に父と母が、何らかのことでもめていて、母親が喚きながら包丁を振り回し、父親が必死になってなだめている場面です。他の3人の兄弟はどうしていたのか覚えていません。私は、頭から布団をかぶり、泣いていたことだけは覚えています。ちなみに、母親は、怒ると時々包丁を持ち出す癖がありました。小学生の時、薪で風呂を沸かす手伝いをしていた時、手持ち無沙汰にそこにあった手作りのバットでボールを畑に向かって打って遊んでいました。すると、運悪く、隣家のトイレの窓ガラスを割ってしまったのです。私は、それを親にも、隣家にも正直に言えませんでした。しかし、まもなくそのことを耳にした母親は、私を厳しく詰問しました。もじもじしていた私に業を煮やした母親は、台所から包丁を持ち出し、「正直に言いなさい!」と突き付けたのです。それで、やっと、私は「割りました」と言えました。10円玉を握りめて、私は隣家に一人で、謝りに行きました。後ろを振り向くと、母親が、「早くいきなさい」と握りしめた包丁の先を私の方に振っているのが見えました。

これは、一例で、父や母の実家には、いつも大人同士の諍いがあり、それが普通で日常でした。私はぼんやりと、大人になるということは、「人と人との争いの中に参入すること」という意識が芽生えていたように思います。一方、世界に目を転ずるとベトナム戦争が泥沼化していました。新聞を読むことが好きだった私は、飢餓や戦争は、一番の関心事でした。そして、中学に入るとそれまで自由だった服装が管理され、丸坊主になり、詰め入りの学生服を着るようになりました。身体の中から湧き上がる「理由なき反抗」のエネルギーは、教師からの執拗な体罰を招きました。体育の授業での事故(転倒による脳挫傷)により、運動を禁じられていた私は、入部していた野球部でもベンチを温めていましたが、「サボっている」とおもった部活の先輩からの暴力、同級生からの「しごき」と称する「ケツバット-中腰になった私の尻をチームメイトがタイヤ代わりに順番に叩く」や「回し蹴り-中腰になった私の尻をチームメイトが順番に回し蹴りをする」は、「人と人との争いへの参入」という現実を私に見せつけました。いつも、一・二年生と一緒にベンチを温めている三年生という情けない野球部生活でしたが、三年生の最後の公式試合で監督が温情でピンチヒッターとして打席に立たせてくれました。もちろん、三振でした。

自分の記憶では、ほとんど人を殴ったことはありませんが、私の人生は実に「人に殴られる」ことの多い人生で、「殴られる」が私の大切なキーワードになってきました。中学生の時、「人と人との争い」への渦中に居ながら、どこか、苦労している自分から“自分が離れて”、不思議なことに、親にも誰にも相談することなく、ぼんやりと眺めていたような気がします。それは、単純に、辛いとか苦しいという形で、苦労を切り離すのではなく、戸惑いながらも「人はなぜ争うのか?」という大事なテーマに向き合っている高揚感があったような気がします。このころから、私の研究は、はじまっていたのかもしれません。

向谷地生良(むかいやち・いくよし)
1978年から北海道・浦河でソーシャルワーカーとして活動。1984年に佐々木実さんや早坂潔さん等と共にべてるの家の設立に関わった。浦河赤十字病院勤務を経て、現在は北海道医療大学で教鞭もとっている。著書に『技法以前』(医学書院)、ほか多数。新刊『べてるの家から吹く風 増補改訂版』(いのちのことば社)、『増補版 安心して絶望できる人生』(一麦社)が発売中。

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