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田口:田口ランディです。よろしくお願いします。
向谷地:今日ですね、いろいろ話の間にコメントとか話をしてくれる当事者の福島さんと下野君です。
福島:皆さんこんにちは。福島と申します。自己病名は、不安発作爆発攻撃型統合失調症救急車多乗タイプと言います。よろしくお願いします。
下野:あの、下野と言う名前で、テレビと会話できたり、ラジオが自分の事言ってたり盗聴器がつけられてたり、そういう個性を持っている人間です。よろしくお願いします。
向谷地:今日ほとんど事前に打ち合わせらしい打ち合わせもなく。
田口:恐ろしいですね。どうしよう。
向谷地:ランディさんも何回か浦河に足を運んで頂いているんですけど、不思議に浦河で会う事がなくてこんな所で会う。
田口:絶対浦河で向谷地さんと会えないですよね。
向谷地:会えないですよね。
田口:向谷地さん浦河にいないんですよね。いても忙しくて、ほとんど会わないですよね。
向谷地:本当にすれ違いなんですよね。この前は四国で会いましたよね。
田口:そう四国で・・・・、淡路島よ。
向谷地:淡路島で会ったりとか、思わぬ所で会ってですね。ご挨拶するんですけども。
田口:あんまり親しくないんだよね。だからね。
向谷地:そうですね。
田口:そんな今まで仲良くなかったんですよね。
向谷地:よく「向谷地さんとランディさんってどうもこうイメージがつながらない」とか「どうしてなんですか」とかよく言われるんですけど、私は説明できないし。先程「田口さんとどういうご関係ですか、向谷地さん」って言われて田口さんが「無関係です」って言って、そりゃそうですよね。
田口:だってそうよねぇ。浦河で会う事ないし、なんですかねぇ。
向谷地:ですけどね、さっき下野君が言ってたんですけど、私のDNAとランディさんのDNAはもしかしたら近いかもしれないって言う話をしてたんですね。何か匂いを感じるんですか?
下野:え、ランディさん?言ってませんよ。
会場:笑
下野:話作るんですよ。
向谷地:ランディさんと同じ匂いがするって。
下野:あぁ、あのそう。話しててランディさんと多分表面上の話は合わないけれども本能的なところで合うっていう話をしてました。
向谷地:本能的なところで。
下野:あ、はい。やらしい意味じゃないですけど。
田口:そういう繋がりってことなんだよね。
向谷地:きっとね、苦労の水脈とかがつながってるんですね。
田口:やだぁ。ははは。向谷地さんと繋がるような、そんな苦労したくない。(笑)
向谷地:そう、言われるんですよね。向谷地と合ったら終わりだとかね。
田口:もうねぇ、なんてったって苦労すごいんだもん、やだあたし。
向谷地:まぁ、そういう苦労がこの本(『べてるの家から吹く風』)でもいっぱい出てくる。
田口:そうですね。今日は苦労の話し聞きましょうね。ちょっともう、それと一緒かぁみたいな。
■ べてる流の信じ方、諦め方
向谷地:ランディさんはいろいろな分野というかジャンルに長けてますんで、きっと嗅覚としては浦河ではこれは面白いぞとか、何かきっと嗅ぎ取っておられることがあるんじゃないかと思うんですけど、その辺は?
田口:あの、最初はよくわからなかったんですけど、『べてるの家の非援助論』(医学書院2002)を編集者した方と知り合い、それで連れてっていただいたんですけど。
実は私はべてるを知る以前からずっとアイヌ民族の取材を続けて行ってて、で、浦河ってアイヌの人たちが沢山住んでる地域で、それでだんだんだんだん浦河べてるの家じゃなくて、浦河のアイヌっていうところと接点が大分出てきてね。
そしたら、向谷地さんの本にも書いてありますけれども、浦河べてるの家はアイヌの方たちを抜きにしてはやっぱり成り立ちが語れないっていうのがあってね。そこから繋がっていっちゃって、今はだから浦河に行くとべてるの家とアイヌの取材を両方やって帰るという感じになってきてるんですね。
向谷地:そうですね。私が28年前浦河の町の病院に、ソーシャルワーカーとして仕事をはじめて、町の保健婦さんにこの町で一番今苦労している人を紹介してくださいっていう風に頼んで連れて行ってもらったのがアルコール依存症のお父さんとアイヌ民族出身のお母さんのお家だったんですね。まぁその辺の経緯は本の中に何回か出てきますけども、まぁほんとに、一族親戚みなさん、アルコールで苦労されてきて、またその前の代もまたその前の代もっていう、そういう本当に大変な歴史を積み重ねてきた。その家族に私は何気なく飛び込んだんですけど、しかしだんだん、歴史の重みを感じるに連れて、これはっていう風に、私はその中で鍛えられたなって感じがするんですけどね。
田口:向谷地さんもそうだし、宮島さん(宮島利光牧師 1980年〜1988年まで牧師として浦河教会で活動。回復者クラブどんぐりの会を設立当初から支えた。1984年 浦河教会の古い会堂が昆布の作業所として使われるようになった頃「べてるの家」と命名した。アイヌ民族に関心を持ち、著書に『チキサニの大地』、『アイヌ民族と日本の歴史』等がある。)も、本当に自分がキリスト教という信仰を持って彼らと付き合うという。で、彼らの宗教を尊重して自分とそのなんていうのかな、信仰というものを改めて牧師さんから考えさせられてしまったっていうのがね。そういうお話を聞いた事があるんですよ。で、私はそのアイヌの方たちにいろいろなお話を聞いていくうちに、その彼らの中にまだ残ってるあるもの、すごく強い信仰心っていうのかなぁ。それにね、大変打たれましたね。それは、どこかべてるの家と妙に繋がる所があってね、べてるの家の人たちそんなに信仰深くないんですけれど。