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『統合失調症を持つ人への援助論』 まえがき
当事者研究が開く世界

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北海道の東南に位置し、日高山脈と太平洋に囲まれた三角地帯である日高管内の中心が、浦河町(人口1万4千人)である。
日高昆布をはじめとする水産資源と、競走馬(サラブレット)の産地としても名高い土地で、五冠馬で知られる「シンザン」が有名である。
毎年6月は、その浦河の国道に面した商店街は全国各地から訪れた「べてるまつり」の参加者たちが行き交い、にぎわいを見せる。
道内でも、交通の便の悪さはピカイチで、札幌から鉄道を乗り継いでも約四時間の長旅を強いられる。
そんな浦河に、3日間で、今年も海外からのお客さんを含め、のべ1200人もの人たちが来町した。

一日目の「浦河“楽(がっ)”会(かい)」は、地域住民を巻き込んだ「当事者研究」の場である。「当事者研究」とは、統合失調症などの精神障害を持ちながら、地域で暮らす当事者活動の中から生まれた一つの生き方、暮らし方のプログラムである。
その特徴は、生きづらさを抱える当事者自身が「自分の専門家」の立場から幻覚や妄想からの影響、服薬をめぐる苦労、生きがいや人生の目標、気分の変動、対人関係や就労にかかわる苦労などに対して、仲間とともに、家族や支援者と連携しながら「研究」し、当事者ならではのユニークな生き方や苦労への対処法を見出して、現実の生活の中に活かしていこうとするところにある。
浦河町は、町民の生涯学習の取り組みに熱心で、精神障害回復者の活動拠点である「浦河べてるの家(以下べてる)」も長い間、教育委員会とタイアップしたイベントを数多く開催してきた。
昨年からは、過疎化が進む浦河町に暮らす住民自身が、身近な生活上の苦労や地域の課題を、「研究」という視点からともに考え、解決策を見出していこうと、べてるまつりに合わせて「浦河“楽”会」をはじめた。
狙いは「生涯学習の街、浦河」から「生涯“研究”の街、浦河」への脱皮である。「浦河“楽”会」は、当事者研究の発表を町民にも聞いてもらおう、とはじまったのだが、今年は、当事者研究に町民を巻き込もうという発想から、一般町民の方々からも研究発表を募った。
その結果、常連であるべてるのメンバーに混じって、地域のパン屋さん、魚屋さん、図書館に勤める職員がエントリーしてくれた。
やはり研究発表の中心は、べてるや浦河赤十字病院の精神科デイケアを利用するメンバーたちであり、自分の抱える症状や子育ての苦労をテーマに、そのメカニズムや研究によってみえてきた解決策を町民に向かって発表したが、そのメンバーに混じり、地域の人たちも、研究テーマを掲げ、自分たちの生活の苦労をユーモアたっぷりに語る場面は、みていて実に楽しく、うれしい話題が少ない地域にあって、暮らしの実感が伝わり自然と気持ちが温かくなった。
会場となった街の小さな映画館「大黒座」(46席)には、百人を越える町民が足を運び、立ち見も出る満員の盛況振りであった。
二日目は、当事者研究を実践している全国各地の関係者が一堂に会して「第五回当事者研究全国交流集会」が開催された。幻覚妄想分野、就労分野、結婚・恋愛分野など、それぞれの分野の苦労のエキスパートが、「自分の専門家」としての立場から、18件の研究テーマをもとに、研究成果を披露しあった。

当事者研究の面白さは、悩みや行き詰まりが「研究テーマ」となり、引きこもる自分の部屋が「研究室」となることである。
そうすることにより、毎日の生活の中に、自然と研究の成果が根を下ろし、生活の質の向上と具体的な生活課題の解消が図れるようになって、毎日、どこでも、誰とでも、時間や場所の制約を越えて取り組むことが可能になる。

浦河では、研究テーマごとに「研究班」が立ち上がり、同じ困難を抱えたメンバー同士が共同研究をすることも珍しくない。
一つを紹介すると、近所から聞こえる自分に対する〈悪口〉が気になり、引越しを繰り返してきた統合失調症を抱える当事者の新たな対処法は、仲間の獲得と、身近な人への積極的な挨拶であった。
それは、住んでいる共同住居の向かいのおばさんが朝、「おはよう」と声をかけてくれたことがきっかけである。
彼は、それがうれしくて、今度は自分から挨拶をしてみようと心がけた。
効果は覿面(てきめん)で、最近は引越しが止まり、今は、通行人から嫌な内容の声が聞こえても、その都度「研究する」という方法に変えたら上手く生活を安定させることができるようになった。
このように、従来は、治療や相談支援のテーマであった「被害妄想」も、同じような困難を抱える当事者同士の連帯と、「研究的な関心」を持つことによって、外在化され、当事者自身がコントロールできるようになった例が、多数報告されるようになってきた。

極度の「罪業(ざいごう)妄想」にさいなまれ、事件や事故が起きるたびに「お前のせいだ」という幻聴に翻弄され、この世の不幸はすべて自分が引き起こしているという自責の念から、自分の頭部を拳でなぐり、壁に打ちつける行為が止まらなかった当事者が、「素直に自白し、石が飛んでくることを覚悟の上で」当事者研究にエントリーしてきた。しかし、会場から伝わってきたのは、彼女の発表のユニークさに対する笑いと、終わった後の「素晴らしかったよ」という激励の言葉であった。
その瞬間、彼女は「あれ、私はやはり病気かな」と思ったという。
自分の感じてきた「罪を犯してきた」という感覚と、会場から伝わってきた肯定感の落差を実感したとき、「妄想」という硬い岩が動いたのである。

先に述べたように、浦河町も過疎化が進み、公共事業に依存していた地域経済も、開発予算がここ一〇年で半減した影響で、多くの建設業者が廃業し倒産した。国や道の出先機関も合理化や撤退が進み、先般、明治時代から設置されていた日高支庁が廃止され振興局に格下げされることが決定となった。
そして今や、街中至るところに空き家となった官舎や公宅が無残な姿をさらしている。
今から三〇年前、そんな街に暮らす統合失調症を抱えた若者たちが集い、社会的な支援体制も皆無な中で「この町のためにできること」を模索し、日高昆布の産地直送に挑みながら、当事者研究という暮らし方の方法を生み出した。その当事者研究が、今、地域と精神保健福祉の現場に新しい可能性をもたらしつつある。

この当事者研究と出会う中で、統合失調症などを抱える当事者によって語られ、解き明かされた「病者の世界」は、従来、ソーシャルワーカーとして私自身が慣れ親しんできた“常識”や専門家の議論をくつがえす新しい発見の契機となった。それは、取り除かれ、克服すべき対象―病理―としての精神障害から「可能性としての病」の側面であった。
そこで思い出されたのが「認知・ヒューマニスティック・アプローチ」(小松、二〇〇二)で有名なゴールドシュタインの「クライエントの場からの出発」という言葉である。
この言葉は、ソーシャルワーク実践の基本的な立場を表明したものであり、ゴールドシュタインは、その実践のスタンスとして「クライエントが自分なりに理解している主観的世界を汲み取る」ことを重視する。それは、幻覚や妄想であっても、当事者の棲む世界の中に降り立ち、そこからともに生き方を模索してきたべてるの実践と符合し、「降りていく実践」ということもできる。
この「主観的な世界の汲み取り」は、伝統的な精神医療が、幻覚や妄想を受け止めることを、病識を曖昧にし本人の思い込みを強化する、として長い間タブー視してきたあり方に真っ向から反する反面、昨今、精神保健福祉の現場で急速に普及しつつある認知行動療法的なアプローチ(SSTなど)が、セルフ・モニターとコーピング・スキルを重視する方向性に重なり合う。
そこで大切になってくるのが専門家の“わきまえ”としての「この理解を達成するために、一時、われわれ自身の理論的仮定や社会的文化的な固定概念をわきに置き」、「クライエントに診断名を当てはめて分類し、対象化し、烙印を押すことになりがちな傾向を阻止して、クライエントを範疇化された対象としてではなく、われわれと同じ人間としてみていく」姿勢である。
そして、「ソーシャルワーカーが、クライエントの主観性の意味を理解できるのに応じて、クライエントの行動や対応の仕方についての相互理解が深まっていく」のである。
さらに重要なのは「クライエントの主観的な世界や現実的な世界の意味を理解するためには、対話と反省を通して意識を高め、問題を見直し、前進していく過程が不可欠となる」ことである。
このとらえ方は、そのまま当事者研究が重んじる研究のプロセスと見事に重なりあい、まさしく、当事者研究の“ワイワイ”“がやがや”の研究風景が眼に浮かぶ。もし、ここでつけ加えるならば、現代的に考えると「対話と反省を通して意識を高め、問題を見直し、前進していく過程」の中には、「望ましい対処行動の獲得」という要素も、自ずと含まれると考える必要がある。その意味でも「認知・ヒューマニスティック・アプローチ」は「認知・“行動”・ヒューマニスティック・アプローチ」として理解されなければならない。

もう一つ、当事者研究をすすめる上で大切な原則は「成果はワーカーによってもたらされるものではない。
クライエントのみがニーズと目標を定め、かつそれらが達成できる可能性を持つ文化的・道徳的・社会的背景を配慮していくことができる」ことである。浦河には、援助の結果もたらされた恩恵に対して「○○先生のおかげで良くなった」と言われないようにするという伝統がある。
生きづらさを「研究テーマ」として掲げ、試行錯誤しながら実践的な研究を重ねるプロセスからもたらされた成果は、その過程に参加した人たちすべてが平等に享受すべきものであり、援助者の実績としてそれはあってはならないのである。

当事者研究というアプローチは、長年の私自身のソーシャルワーカーとしての実践の一つの到達点である。
そして、独りよがりの理解ではあるが、その経験を根拠づけてくれたのが「認知・ヒューマニスティック・アプローチ」であり、その世界への突破口を開いたのがSST(Social Skills Training)であり、CBT(Cognitive Behavioral Therapy)なのである。

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